国のない男

国のない男

ヴォネガットに出会ってから

ヒッピー的な幻想から次のステージに立てた。

以前まで見えていた世界は

スピリチュアルなものとか

サイケデリックなものとか

アシッドテイストなものとか


そういった類いのものっていうのは、
とても瞑想的。

籠りがちなスタイル。

それは、

エクスタシー文化とは違って

一人思索に耽るスタンスが体勢になった状態。


パーティにいっても

みんなで楽しむというより

一人でどれだけの深いイメージへとトリップできて、

どういった悟りを得たかっていうのを

音楽や映像を通して体験する。

みんなと幻想的なイメージを共有する。


つまり、

そこでは、

みんなで、

アートを共有していてってこと。


気持ち悪さとかを追求したり。


だけど、

そういうことを消費したり生産していても

やがて飽きてくるんだよね。

嫌いじゃないけど、

旅が好きだから

次に行きたい。

それに

せっかく

パーティという社会に参加しているのだから、

人と楽しいことを共有するほうがいいじゃん。

って聞こえてきた。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
幸福っていうのは、
自分がそう感じれば、
幸せなんだよ。

サイケデリックなものに幸せを求めるよりか
地に足がついたものでも十分だよ。
人を笑わせるようなユニークさを
周りに与えるような
スタイルの方が
楽しいよ。

少数でマニアックにやるよりか
大勢で笑ってる方が良くないか?
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そう本を通して語ってくれたのが
ヴォネガット

僕がヴォネガットとの付き合いの始まりです。

(会ったことないけど。。。)


その彼の
最後の作品が「国のない男」

メタ的じゃないから
読みやすい。


この本は僕にとって
ヴォネガット3作品目です。


ビートジェネレーション。
ヒッピー。
バックパッカー
ニューロストジェネレーション。
そういった流れを通った人は


ヴォネガット
新しいステージに立て場?
新しい流れに乗れば?


暖かいイメージを手に入れられるはず!

スタイル

運が良かったやつがこの世に生を授かり、

地面に足が着いた。

勝手に始まったから、そこには終わりがある。

始めたわけじゃないから、終わりを決める必要はない。

右に曲がろうと、左に曲がろうと、

道をどっちに行こうと、

そこで成り行きと言わず

道よりをすることは

次の道を曲がるときに決める

選択肢のヒントを得るだろう。

個は集になりそれが大衆と化した。

大衆はやがて分衆となり、

個の集まりは

その真ん中をぽっかりと、

空けてしまった。

島国という性質なのか、

外から入った渡来文化を

我こそはといち早く手に入れようとする。

それを自分なりにデザインした作品を

自慢する文化が生まれた。

だれかが始めれば、それに続いて

他の誰かも始めるから

彼らは外に眼を向けることばかり気を使っていた。

外へ外へ外へと。

そうすることで、

人は第三の眼を必要とした。

その第三の眼は、

外に眼を向けることができるので

人の興味、

人の気持ち、

人の繋がり

を観ることができた。

興味というのが、

流行。

気持ちというのが、

空気。

繋がりというのが、

ネットワーク。

第三の眼はそれらを

可視化することができた。

文化は外から輸入することが粋だということで、

それを実践する人々は

それを文化と認め、

そこに参加するための表現を日々実践していた。

やがて、

この島国からは土を耕す文化は減少し、

彼らはアイデンティティを見失っていた。

やがて、

彼らは、

世界を渡り歩き、

それらの経路(RouteS)をアイデンティティ(RootS)と

することで、

新たに土を耕そうと計画を立て始めた。

この島国では、RouteSをRootSとして新たな文化が生まれようとしている。